卒業生の姿

卒業生の姿

和光小学校を卒業した子どもたちがその後どのような道を歩んでいるのか。和光学園で育つ子どもたちの姿を対談形式でご紹介します。

塚原さん(2011年度卒業)写真左 看護師

経歴

和光小学校→和光中学校→和光高校→東京女子医科大学看護学部→看護師

対談

対談相手は当時高学年を担任した副校長の増田

(増)久しぶり!今何をやっているの??

(塚)看護師だよ。ERで。

(増)ER?!救急の部屋だよね?

(塚)そうだよ。

(増)うわー、すごい。夜勤とかもあるんじゃないの?!

(塚)きのう夜勤明けだったから、今日はお休みなんだ。

(増)うわぁ、大変だね。お休みの日に来てくれたんだ。


(増)どうして看護師さんになろうと思ったの?いつから考えてた?

(塚)うーん、何となく、中学生くらいからかな?野球部のマネージャーをやった経験も大きいかもしれない。

(増)お仕事はどう??大変だよね・・・。

(塚)夜勤とかも大変なんだけど、なれてくると、患者さんの担当が多くなっちゃって…。最初の頃は、1対1で丁寧にコミュニケーションがとれたのだけど、担当が多くなっちゃうと、どうしても時間が少なくなっちゃって。それが辛いな。

(増)患者さんに丁寧に関わっているんだね。


(増)和光を出て困ったことや、驚いたことってあった??

(塚)まずは勉強!看護学部の人は、すごく勉強してきた人たちばかりだから、最初の1年目はついていくのが必死だった。1年目はすっごく勉強したなー。あとは、先生との距離感かな?和光では聞きたいことは普通に聞けるけど、壁があるというか。


(増)和光で学んできたことが今の自分に生きているな~って思うことはある??

(塚)まずは、人と関わる仕事をしようって思ったことかな。あとは、人に対する偏見を持たないということ。大学とかでちょっと変わっている人とかいるでしょ?ちょっと浮いちゃっているというか…。でも、そういう人も普通に受け入れられるというか、まわりの人は引いてしまって時も、あたり前のように接することができる。


(増)最後に、今の和光の子どもたちや保護者の人に伝えたいことってある??

(塚)色々なことに挑戦してほしいな。恥ずかしがらずに。


まさか塚原さんからそんなことばが聞けるとは…。5,6年生で担任した塚原さん。当時は、おとなしく、自分のことを多く話す人ではありませんでした。しかし、そんな塚原さんが、じっくりと自分を育て、こんな風に語ってくれたことは、とても驚くとともに嬉しかったです。

山岡さん(2011年度卒業)写真右 UCLA留学

経歴

和光幼稚園→和光小学校→和光中学校→和光高校→アメリカの短大→UCLA

対談

対談相手は当時高学年を担任した副校長の増田です。

(増)本当に久しぶりだね。最初、誰かわからなかったよ!

(山)今、一時帰国中で、また来週アメリカに戻るんだ。

(増)へぇ、アメリカではどんなことを学んでいるの??

(山)社会学だよ。

(増)なんで社会学を専攻しようと思ったの?

(山)もともと社会が好きだったこともあるけど、自分の身の回りで起きていることを研究したいというか、自分の生活に直結していて、社会に対する解像度が変わってくる所が面白いなと。

(増)そもそもなんで海外の大学に行こうと思ったの?

(山)小学校の時に一時的に中国に住むことがあって、海外って面白いなって思ったのと、幼稚園から高校まで和光だったから、自分の人生このままでいいのかな?と(笑)自分を追い込むような環境に行ってみたかった。

(増)3年間過ごしてみてどう?

(山)国をまたいでも、人は人だなと。何もかもがちがうわけではなかった。でも、日本のあたり前が通じないこともあった。

(増)日本のあたり前が通じないってどういうこと??

(山)察するとか、配慮するとか、忖度するとかがほとんどない。思ったことはきちんと伝えなければ伝わらない。グループディスカッションしていても、発言をしていない人に話しをふるとかはない。

(増)じゃあ英語が使えないと大変だね。英語はどうやって覚えたの?

(山)昔から苦手!高校出た後に語学学校に行った。今でもスラスラ出てこないの(笑)日本人ではなく、外国人の人の中にいるようにしたり、あとは実用的に使うとのびていくと思った。

(増)でも、さっきのディスカッションの時なんかどうするの?

(山)たどたどしくても、伝えよう!という意志があれば平気。もともと移民が多い国だから、うまい・下手は全然気にしない。

(増)自分自身が和光の中で育ったと思うことってどんな所?

(山)まずは自由を尊重している所かな。「いい大学に行く」みたいな風潮の中だったら、一歩を踏み出すことができなかったかも。和光に通ってなかったら、海外に行かなかっただろうなと。あとは、授業で自分の発言していくことが是とされること。沈黙を破る力かな?

(増)最後に、後輩の和光生たちに伝えたいことってある??

(山)興味がおもむくものにどんどんチャレンジしてほしいな。失敗は悪いことじゃないよ!

 

最初恥ずかしそうに話していた山岡さんが、しだいに社会学の話、アメリカでの話を熱く語り始め、深く考えて行動しているその姿に、力強さと頼もしさを感じました。「海外の大学に行くことを親は反対した。」というのは、何だか共感してしまいましたが、親の心配はよそに、子どもはどんどん羽ばたいていくのですね。1年後、帰国した時に、また寄ってくれるとのこと、その後の話をまた聞きたいなと思いました。山岡さん、塚原さん、がんばってね!

小川さん(2009年度卒業)薬剤師

経歴

和光幼稚園→和光小学校→和光中学校→和光高等学校→横浜薬科大学→薬剤師

高校3年間、大学でサッカーに取り組む

対談

対談相手は副校長の増田

(増)お久しぶり!ずいぶん変わったね~笑 昔は漢字苦手だったよね。

(小)今でも漢字は書けないけど笑 お久しぶりです。

 

(増)いつ薬剤師になりたいと思ったの?

)中3くらいの時ですかね・・・。一つ目は理科の点数(生物と化学)が良かったこと。好きだったんです。それで、自分のできることに行こうかなと考えました。もう一つは和光生はコミュ力が高いじゃないですか。その人たちに比べて、自分は勝てないな・・・と思って。資格とった方が良いなと思いました。医者は学力的に厳しいかなと思って。わりと早目に決めていました。高校でもそのような選択を多くとっていました。とらなくてはいけない授業よりも多くとっていましたよ。

 

(増)大学の授業はどうだった??

)大1の時、教養科目があり、数学は厳しかったですね。うまく提出物でカバーしてました。そこが一番苦労したかな。2年生からは薬学の分野に入っていくので、大丈夫。ちゃんと勉強していればついていけました。理科とかは、苦労しなかったです。

 

(増)和光での生活が、今の自分にどのようにつながっていますか?

)“しゃべれる力”かな…。職場でも実感します。薬を出すとき、患者さんと話すのですが、そこで間違いないかなどと確認しています。

 

(増)和光の外に出て感じたことは?困らなかった??

)勉強面は苦労することはあったのですが、今でも思うけど、話す力とか友だちとの会話など意外と強かったです(笑)外に出たら話す力とか発表する力は無敵でした。衝撃を受けたことはなかったですかね…。とにかく先生とも実習とかで質疑応答になるが、知識的に変わらなくても、他の人と捉え方がちがうというか、驚かれました。ディスカッション、発表がけっこうありましたが、まわりの人たちは緊張していたみたいだけど、自分は平気でした。(鶴小卒の女の子も)強かったですよ。

 

(増)和光での生活で思い出深いことは?

)やっぱりいちょうまつりの踊りかな。部活をずっとやっていたからその印象も強いです。

 

(増)今の和光生にメッセージをください。

)勉強というか、学力が和光は弱い所と言われるけど、ちゃんとぼく以外の人でも自分で決めた道をしっかりと進んでいます。思ったよりも苦労していないなと思う。(薬学部で)留年もしていない。100人入学して国家試験合格は2割ほど。(ストレートでは)でも、和光の卒業生はほとんどが留年しないんです。腹をくくった人は強い、自分が決めた道ならそんなに苦じゃない。自分の進む道を見つけてほしいなと思います。

 

(増)貴重なお休み日にありがとうございました!がんばってね!

笹部さん(2007年度卒業)歯科技工士

経歴

和光小学校→和光中学校→和光高等学校→日本歯科大学→歯科技工士

対談

対談相手は副校長の増田

(増)どうして歯科技工士をやろうと思ったの?

(笹)親戚に歯医者がいて、もともと知っていたこともあったけど、細かい作業が好きだったからです。あとは、就職活動が自分には合っていないなーと思いました笑。高校2年生くらいの時くらいに決めたかな?

(増)小学校の時の思い出を教えてください。5年生の合宿に行くときに、出発の時に泣いていたよね笑

)あったね~。ママと離れたくなかった。

(増)6年になったら、ピタッとなくなったじゃない?なんでかわかる??

)わからない。でも、6年生の時にはもう泣いていなかったよね。

(増)小学校の思い出は?

(笹)小学校ではいちょうまつりが好きだったな。一番好きだったのは七頭舞かな?

(増)中学校の時の思い出は??

)館山(水泳合宿)はレク総務やって、秋田学習旅行の実行委員もやった。卒業してからは館山のコーチにも行きました。

(増)すごいね!そういうタイプじゃなかったのにね。なんでやるようになったの?

)うーん・・・中学校が一番楽しかったからかな。立会演説会も平気でした。

(増)大学はどうだった?戸惑ったことはなかった??

)大学は勉強しに行くだけって感じでした。座学や実習が忙しかった。それで、授業が終わったら即帰る。阿波踊りをずっとやっていたので、“連”に入って、いまだに家族でやっています。あとゴルフも。大学では“当たり前”だと思っていたことが当たり前じゃないことに驚きました。(制服がなかった、給食がない、高校の体育祭、髪型、ピアスetcの話を周りの人にしたらすごく驚かれた。)

(増)それって、笹部さんがカルチャーショックを与えていたんじゃないの?笑

)たしかに!あと、名字で呼ばれた時にえっ?と思った。「ささべさん」って。名字で呼ばれることなかったから。

(増)勉強とかは困らなかった?

)専門的な学習だから、困らなかったかな?追試とか再試になるとお金がかかるから、ならないようにがんばった!

(増)和光で学んだことが今の自分の生きていることはありますか?

)技術の授業がすごく好きだった。そこで、細かい作業が好きだということに気がついて、今につながっている気がします。

(増)和光で良かったなと思うことは?

)小学校から変わらない友だちがいて、いまだにつながっていることですかね。

(増)もっと他の友だちが欲しいとか思わなかったの?

)阿波踊り、バレエとか、そういう所でも関係があるから、そうは思わないかな??

(増)今の和光生に伝えたいことはありますか??

)楽しい行事がいっぱいあるから、行事を全力で楽しんでほしい。思い出に残るよ!卒業しても、合宿の指導員や館山のコーチetc そういうつながりは楽しいし、他の学校では味わえないこと!

(増)今日はありがとう!!

谷崎さん(2007年度卒業)ピアノ講師

経歴

和光幼稚園→和光小学校→和光中学校→和光高等学校→イギリス ギルドホール音楽演劇学校クラシックピアノ専攻→ピアノ講師

対談

対談相手は副校長の増田

(増)久しぶりだね!

(谷)おひさしぶりです。

(増)突然だけど、なんでイギリスの音大に行こうと思ったの??

)もともと日本の先生に、「音大に行くなら海外に行きなさい」と言われていて。海外の方がクラシックが進んでいると。高校の時に、毎年サマースクールに通っていて(アメリカとイギリス)、イギリスの方が良かったから、イギリスに決めました。

 

(増)ことばは大丈夫だったの?

)高校の時に、「本格的に必要だ!」と思って、試験用のスクールに通うようになりました。でも、英語は難しかった・・・。高校卒業して、実技の試験は受かっていたのだけど、語学が受からず、2年目で入学しました。

 

(増)それでも最初は戸惑ったのでは??

)半分がイギリス人で、もう半分がヨーロッパからの学生。その中にちらほらアジアの人って感じだったから、ほとんどの人が英語を話せる環境で、戸惑いました。私の行っていた学校は、少人数の学校で、1学年の専攻所属は10名ぐらいの少数精鋭って感じ。なので、丁寧にサポートもしてもらえたんです。だから、「私はしゃべれません!」というスタイルでのぞみました。すると、ゆっくり説明してもらえたり、まわりの人に丁寧にサポートしてもらえたのです。

(増)えー、谷崎さんが?!覚えてないかもしれないけど、5年生の時に、夏休み研究の発表でクラス代表として選ばれたのね。でも、それが恥ずかしかったみたいで、涙ぐんでポロポロと泣き出しちゃったのよ。どうしちゃったのかと思って、動揺したのを覚えてるわ。そんな谷崎さんが、「私はしゃべれません!」なんて、アピールできるようになったことが驚きだわ~!

)成長ですかね笑 でも、そう言えて良かったです。もし言えてなくて、「はいはい」とわかったフリをしていたら、まったくついていけていなかったと思う。1年目2年目はあっという間に過ぎていき、3年目くらいからようやくサポート無しで授業を受けれるようになりました。

 

(増)話は変わるけど、和光での思い出を教えてください。

)小学校の合宿が一番楽しかったかも・・・。5,6年のみずがきキャンプが特に印象に残っているかな。ご飯を炊くのに失敗して、こんなの食べられない!ってご飯ができた笑

(増)そういうことの方が印象に残るんだよね~

)楽しいことは更新されていっちゃうからね笑

 

(増)和光での学びや生活が、今に生きているなって思うことは??

)世の中には色々な人がいるんだなーと思えたことかな?イギリスに行っても、どんな人を見てもビックリしなかった。あとは、「普通こうでしょ?」みたいな概念を持たなかったこと。それと、やりたいことを集中してやれること?何かに夢中になっている人が多いから、自分自身もそうすることができたと思う。

 

(増)逆に、外に飛び出して困ったことってあった??

)一から関係を築くということがなかったから、いかに和光の友だちが自分を理解してくれていたのかということが再認識できた。でも、今までできなかった音楽の話が増えて、話題がガラッと変わって、それはそれで楽しかったかな。目指す方向が一緒の人がいて、ちがった楽しさがあるなーと。

 

(増)最後に、今の和光生に伝えたいことをお願いします。

)いずれやめちゃうことだとしても、今「これが好き!」「これがんばろう!」と思うことは、そのまま信じてがんばり続けてほしいなと思います。

 

(増)今日はありがとう!今度ピアノの演奏を聴かせてほしいな。

田邊さん(2007年度卒業)テレビ番組制作

経歴

和光幼稚園→和光小学校→和光中学校→和光高等学校→法政大学法学部→テレビ番組制作

対談

対談相手は副校長の増田

(田)お久しぶりです!先生、変わらないですね~。

(増)もう40代だよ~。今日はよろしくね!

(増)さっそくだけど、なぜ法学部に行こうと思ったの??

)高校の選択授業で沖縄の「基地問題研究」をとっていて、その時、“スラップ裁判”が話題になっていたんですね。そんなこともあり、法律を知っているって大事だなと考えました。

(増)初めて和光以外の所に行って、困ったことや戸惑ったことはなかった??どんな感じだった??

)大学では友だちがほとんどできなくて、“授業を受ける場所”と考えていました。小さい頃から兄弟みたいに仲のいい和光の友だちがいたからかな?勉強面は...英語が苦戦しました笑。英語だけクラス分け(ランクわけ)があり、下から 2 番目とかでちょっとショックというか、次の学年に上がれなかったらどうしよう・・・と。でも、感想文などの文章は授業で取り上げられる確率が高かったので、得意なのかも?と思いました。レポートを書くのも困らずできました。いま法律の仕事をしているわけではないけど、退屈とは思わず、誰にでも関係する学問で面白かったです。仕事で裁判の取材をしたりもすると、「もっとしっかり勉強しておけば良かった~」と思います。

(増)今やっていることを教えてください。

)テレビ番組の制作をやっています。特集の提案、取材、編集などです。

(増)なぜその仕事をやろうと思ったの?いつから考えていたの?

)うーん…自分でもよくわからないけど、マスコミ以外考えてなかったんです。家庭環境もあるかな?父方が、テレビ関係の仕事をしている人が多かったので、マスコミみたいな仕事に親近感がありました。好きなものや身近なものしか考えられなかった。テレビと出版が好きでした。

(増)アナウンサーとか、表に出る人でなく、裏方を選んだのはなぜ?

)自分が好きな番組はどうやってつくられているのか、どんな人が作っているか、ものをつくるということに興味があったからかな?

(増)入社試験とか大変じゃなかった??志望する人も多そうだよね?

)本当にやりたいと思っていたし、行きたいと思った所だったので、素直な学生だったのかな??シンプルだったのかな?笑 マスコミは高学歴の人も多いけど、私は、「好きです!」みたいな素直さ、熱量があったのかな?和光生っぽいですかね?笑

(増)社会に出てみてどうだった?

)今 5 年目なんですが、仕事ばかりしています笑。たくさんの人と関わりながら一つのものを作り上げる仕事なので、大変なこともたくさんありますが、好きなことをやっているので、楽しいし、幸せだと思います。

(増)大変なこともあると思うけど、なんで乗り越えられてるの??

)自分がつくったものが目に見える形で広がって、喜んでくれる人がいることがやりがいになっています。

(増)和光での思い出を教えてください。

)大前提として、和光と言うものが自分の全部だと思うくらい大きな存在です。あまりに大きすぎて、「これがあったからああだ」という具体例と影響がうまく話すことができません。あえて言うなら、小学校のクラスの幸せな雰囲気が自分の中に残っています。友だち 3 人で放課後に話していた思い出とか、缶蹴りをみんなでやったとかグランドの記憶。あと、沖縄学習旅行 3 日目の夜、学級集会で、みんなの話の中で、「今って昔に比べて良くなっているのか?」と話になりました。緊張しながら「こういうことが話せること自体が平和になっているのではないか?」と 発言しました。それが後から通信に載った時に、「言って良かったんだ~」 と思いました。あれが、勇気を出して自分の意見を言う成功体験になっています。中高ではよく発言するタイプになっていきましたが、沖縄での出来事がきっかけだと思います。

(増)和光で過ごしたことで、今考えることってありますか?

)大学の英語も苦労したし、就職の時に一番落ちたのは筆記試験でした。勉強することで開ける可能性もあるし、選択肢が広がるのだと今でこそ感じるようになりました。ただ、内面的なものをじっくり考えたり、想像したりする豊かな時間があったから、今の “個性”につながっていると思うので、自分自身はそれで良かったと思っています。社会人になって「田邊は人を蹴落とそうというところない。そこは良さだよ」と、言われたことがあります。自分ではよくわかりませんが、競争は果てしなく、キリがない。でもやっぱり、学力が足りなくて足切りされてしまうのも、もったいないとも思うけど。難しいですね。

(増)最後に、今の和光生に伝えたいことはありますか?

)とにかく楽しんでほしい!和光を出てみて、先生への嫌悪感を持っている人が多いことに驚きました。私たちは大人を信頼するというのが当たり前だった。せっかくそのような環境にいるのだから、安心して思いきり楽しんでほしいです。

(増)保護者の皆さんに対しては?

)親になったことがないので、答えるのが難しいですが…私の両親は私が「どうしたいか」を尊重してくれる人たちでした。勉強や進学、就職に関しても「こうしなさい」と言われたことはほとんどなく、私の選択を信じ、応援してくれました。自分の幸せは何なのか、何が好きで何が嫌いなのか、自分で考え自分で選ぶ。その練習を幼い頃からさせてもらえたことに、とても感謝しています。今では逆に、「幸は頑固すぎる!全然言うことを聞かない!」と怒られることもありますが…。笑

(増)忙しい中、ありがとうございました!制作した番組が放送される時は、ぜひ連絡してね!

)えー、自信がある作品だったら笑

丹羽さん(2007年度卒業)証券会社

経歴

和光幼稚園→和光小学校→和光中学校→和光高等学校→白百合女子大学文学部フランス語フランス文学科→証券会社

対談

対談相手は副校長の増田

(増)久しぶり!

(丹)本当にお久しぶりです。

(増)さっそくだけど、なぜフランス語を学ぼうと?

)あまり何も考えていなかったのですが、海外に関心がありました。

(増)フランスは何回か行ったの??

)それが…留学で行こうと思っていたのに、フランス同時テロが起こっちゃって、中止になってしまい、結局行けずじまいだったのです。

(増)それは残念だったね。。。大学ではどんなことを学んでいた??

)フランス語、フランスの文化を学んだり、移民国家なので、ヒエラルキーのことなどなど、そういった勉強をしていました。18世紀の文学を読むというゼミでした。

(増)それが、なぜ今証券会社に?! 現在のことを教えてちょうだい。

)いま、証券会社の法人のお客様を担当する部署で働いていて、主には法人様のお手伝いをしてます。M&Aの支援など、企業の支援、お手伝い、何でも屋さんみたいな感じです。

(増)ひぇー、、、難しい。そもそもなぜ証券会社に入ろうと思った??

)年収1000万円以上欲しくて(笑)余裕のある暮らしをしたかったんです(笑笑)業種にこだわりはありませんでした。色々な会社を見て回るのが面白かったです。和光時代、周りは自営業が多かったですよね。就活の時に色々な企業さんを見られるのが、受からなくても面白かったです。(苦しかったけど…) 和光の他の友だちみたいに、何かを生み出したり、創り出すことよりも、自分自身は“0”から作るより、既存のものからスタートする方が合うと思っていました。

(増)自分自身のことをよく理解していたんだね。でも、そのような企業に入るのは難しかったのでは??希望する人も多そうじゃん??

)そうですね。証券会社なので、採用試験では時事ネタを聞かれるんですね。世界も含めて。「今気になることは?」と聞かれます。世の中に起きていることを、どれだけ“自分ごと”として考えられるか、答えられるかがポイントだったと思います。多くの人が、その時話題になっていたアメリカのトランプ大統領のことを答えていたと思いますが、私はフランスの同時多発テロを気になることとして、自分の経験を話しました。実は、留学の費用を入金したものの「返せない」と言われてしまって、そんなのおかしいと思って、5カ月かけて英語とフランス語の契約書を読み漁って、契約の粗をさがして、返金してもらったんです。それまで身近じゃないと思っていたことでも、私たちにも起こりうることなんだな…。と、そういう話をした記憶があります。

(増)すごっ!そりゃ採用されるわ(笑)。 

)グループディスカッションもやったけど、これは和光生の強みだと思います。自分の主張をするだけでなく、相手の意見をどのくらい聞けるかが大切だと思っています。

(増)実際に働いていてどうですか??

)今年で5年目です。金融機関なので、算数ができないなと思うことはあります(笑)会社に入る前は、何をやっている所かほとんど知りませんでした。実際に入ってみたら、コンサルや相続、不動産売買etc何でも屋さんでした。証券会社と言っても、株だけじゃないんだなと思い、それが面白いです。今はご法人様なので、普通だったら会えないような人に会えたり、経営戦略を聞けたり、ありがたいなと思っています。やりがいは、お客様の悩みが解決できた時かな? 1年目に出会って、3年目に契約が結べ、お客さまもとても喜んでくれました。時間はかかったけど、達成感がありました。

(増)うひゃー、全然知らない世界。株とか、今度個人的に教えてください!

)はい、ご提案させていただきます(笑)

(増)話は変わって、大学で、初めて和光を出てみてどうでしたか??

)困ったことはなかったけど、ずっと共学だったので、女子大学に戸惑いました。教室で歯を磨いたり(笑) 異性の目を気にしない(笑) 初めての世界といった感じでした。新しい友だちもできたりして。和光の友だちのこういう所がいいな~と改めても思ったし、これまでの価値観とはちがう人も多く、楽しかったです。学業面は、大学だと、みんな初めての勉強なので、遅れているという感じはしませんでした。ちゃんと授業にさえ出ていれば困らなかったかな。今、證券会社で働いているけど、計算は遅いです(笑) 

(増)和光の生活で印象に残ってることはありますか?

)家族がもう一つあるというくらい、濃い関係でした。今でもよく会うし。家族以外に頼りになる場所。勉強だけじゃない。畑や合宿など、印象に残っています。

(増)和光での学びが、今の自分のつながっているなと思うことは??

)物の捉え方でしょうか。どうして?なんで?と考えること。算数だってなぜこうなるのか?みたいな。それに対して自分の意見を持てるなど。自分の力になるところだと思っています。

(増)最後に、今の和光生へメッセージをお願いします。

)今を楽しんでいれば大丈夫!やりたいことがあればやればいいと思うし、なくても、生活の中でいずれ見つかるはずです。

(増)保護者の方へもメッセージをお願いします。

)すべてが心配だと思うけど、こういう風に育てたいと思ってもなかなか育たない(笑) 何かあったら相談してあげてほしいし、一番の相談相手になってほしいです!

(増)今日は忙しい中、本当にありがとうございました!

 

✩小学生の時から前に出てくるタイプでもなく、淡々と生活しているように見えた丹羽さんですが、内には熱いものを秘めていました。社会人になってもあまり変わっていなくて笑えました。「年収1000万円以上~」とか、これまで紹介してきた卒業生とはちょっとちがうタイプでしたが、インタビューを通して、一人ひとりがしっかりと生きているな~と感じます。(増田)